阪神・淡路大震災大震災直後のこと。
僕の担当しているラジオ番組に一通のハガキが来た。
神戸で被災した少年からのものだった。
その少年は震災で家を失い、大好きな弟までも失った。
1週間ほどは食べる気も起きず、心は凍りつき、何も考えられず、悲しみや、怒りなどの感情すらも封印したように、ただただ呆然として毎日を過ごしていた。
そんなある日、片付けをするために全壊した実家の近くにいたところ、落ちていた小さなラジオから突然音楽が流れ出した。
それが「道化師のソネット」だった。
その時初めて彼の心が動いた。
失ってしまった弟のことを思いながら思わずそのラジオを強く抱きしめた。
そして初めて涙がこぼれた。
少年は号泣し、そこから心が動く様になった。
頑張ろうと思った、と書いてあった。
そして少年は「道化師のソネット」を歌った僕に「作ってくれてありがとう」
と言った。
読みながら涙が溢れた。
その時初めて、自分で作った歌といえども、歌は僕の持ち物ではないのだ、と気づいた。
歌は時折こうして僕の知らないところで、誰かの心に寄り添うことがある。
なんてすごい仕事をさせていただいているのだろうと、僕も泣いた。
あの日から30年。
その少年も今はすっかり大人になったはずだ。
今でもさだまさしの歌を聞いているかは知らない。
だがこの少年のハガキにに救われた「うたづくり」が一人居る。
1月17日は僕にとって「道化師のソネット」の日になった。
さだまさし拝