犬塚弘さん逝く
小学5年生の時に僕は両親に連れられて、
長崎市公会堂へ「クレージーキャッツ・ショー」へ行った。
サイン会に並んだ。植木さんは人が並びすぎて、とてもサインなど貰えず、
ハナ肇さんと犬塚弘さんのサインを貰った。
クレージーキャッツは少年時代の憧れのヒーローだった。
素晴らしい演奏、驚くほどの面白さ。
この時僕の心に、エンターテイメントの凄さがキョーレツに植え付けられた気がする。
クレージーキャッツのショーの高みは、「技術」や「音楽性」のみならず、
ワクワクする楽しさや「音遊び」の面白さまでぎっしりと詰まっていたこと。
抱腹絶倒のコントに爆笑した直後の演奏に感動するのだ。
音楽は上手くなきゃダメだし、ショーは面白くなきゃダメ。
面白いだけでも、上手いだけでも、ダメだよ。
これはクレージーキャッツが教えてくれた大切な「ショー」の約束。
この日の強烈なショックは今でも僕の「ステージ観」に繋がっている。
大人になってから、憧れのハナ肇さんと
映画「飛べイカロスの翼」の際に共演させていただいた。
キグレサーカスの団長役だった。
はじめ緊張したが、気さくで温かい柄にすぐに抱き締められた。
ロケの合間に様々な話を伺った。
面白話に爆笑し、真面目な話は心に沁みた。
こんな偉大な方と共演できるなんて。
少年時代の自分に教えてやりたいと思った。
植木等さんのトーク番組にお招きいただいた時、「干物が好き」と伺った僕は、
当時暮らしていた長野県諏訪市を朝出て、静岡県の網代へ車を飛ばし、鰺の干物をたくさん買って、スタジオにお土産として持参した。
植木さんはテレビでは物を食べない、と決めておられた。
なぜならば「食事をする姿」と言うのは極めてプライベートなもので、
テレビの画面で無防備に人に見せるものではない、と言う思いがおありだったのだ。
だが、お土産として持ちしただけなのに、この干物を見た植木さんはスタッフに
「わざわざさだくんが網代まで行ってくれたのを、はい、ありがとう、ともうだけじゃ申し訳ないから」
と、すぐにご飯を炊くように命じ、なんと敢えて番組中に食べて下さったのだった。
「君も食べなきゃダメだよ」と言うので僕もご相伴に預かり、植木さんは
「こりゃあ旨いねえ、いやぁ、ありがとうありがとう」と豪快に召し上がった。
そういう方だった。
犬塚弘さんとのご縁は電話だけで三度ほど。
犬塚さんがさだまさしの歌をとても気に入ってくださっており、
こっそりと僕のコンサートへお出かけ下さっていたのだった。
共通の友人が犬塚さんにそのことを聞いて、僕に電話が来た。
「いやあ、僕はさ、あなたの歌が好きなんだ」と、
明るく若々しい声で幾度も褒めてくださるので大いに汗をかいた記憶がある。
犬塚さんとお話ができたのは都合三度ほどで、このところ5年近くはお話し出来ていない。
7人のメンバーのうち、6人はすでに亡く、お一人お元気だったのが犬塚さんだった。
その犬塚さんがとうとう、94歳で逝去された。
クレージーキャッツが本当に去ってしまった。
「下手なやつはステージに上がる資格はないが、ショーは楽しくなくちゃいけない。
笑って、泣いて、胸に響くようなステージをやりなさい」
クレージーキャッツは今でも僕にそう語り掛けてくれる。
本当にありがとうございました。
犬塚弘さんのご冥福を心から祈ります。
寂しい。
ー 合掌 ー
さだまさし拝